最後の医者は桜を見上げて君を想う / 二宮敦人
「18禁日記」の著者である二宮敦人の作品。
両極端な2人の医師のお話です。
超エリートで出世街道をひた走る福原と、医師なのに死神とあだ名がつけられるほど鼻つまみ者の桐子。
3部構成となっており、正直なところ1部で桐子と福原の紹介があったところで、なんだこんなお話か、さらっと読んでおくかと思いました。
ところが、2部で登場する音山がいいですね。3部では中心となってこの小説をしっかりと締めてくれました。
私はエリートが主人公だと気持ちを入れて読む事ができなくなるのですが、今回はこの音山を通してしっかりと彼らを見る事ができました。
もしかして奇跡が起こるのでは?むしろ起こってほしいと何度も思うのですが、それぞれの部のタイトルにははっきりと「死」が宣告されています。
それを思うたび、結果はただ1つ。泣いてもわめいてもこれだけはぶれなかった。
人間が死を目前にしたときにどのような行動をとるのか。そんな大上段に構えなくても、私自身が余命診断されたとしたら。
私は過度な延命処置はして欲しくないと思っています。
見舞いに来た人の顔も判らない、会話もできない。そして食事もとる事ができない。
さらに下の世話までやってもらうとなったとしたら、果たして生きている意味があるのだろうかと思ってしまいます。
でももしかするとそれは、今は死が身近なものでないからなのかも知れません。
目の前に「あと○ヶ月」という札をぶら下げられたら、まったく違う考え方になってしまうのかもしれません。
死を考えたとき、良く引き合いに出されるのが以下のプロセスです。
第1段階 「否認」 さすがに特効薬あるでしょ、まだ死なないでしょ
第2段階 「怒り」 なぜ自分だけがこんな目にあうんだ
第3段階 「取引」 お酒を一切断ちますから、命だけは助けてください
第4段階 「抑うつ」 もうだめだ
第5段階 「受容」 死を受け入れます
これに当てはめると、私はいきなり5段階に飛ぶといっていることになります。
さすがにそれはなさそうなので、やはり私はまだ死ぬ事を自分のこととして思えてないのでしょう。
ピーク時の畳み掛けるような言葉のつながりに、感情を持っていかれてしまい、久しぶりに目が潤んでしまった事も何度か。
読み応えがあり、とても面白い1冊でした。
ここで終わろうと思ったのですが、すこし追記です。
小説のタイトルが最後までしっくり来なかったのです。桜は一体何を表していたんだろうか。最後に登場した2部の女子大生も桜には関係があるでしょう。
とはいえ、1部と3部は桜という雰囲気ではなかったような気がします。
若い医師達の青春とかそういうようなニュアンスなのですかね。
そして「最後の」という枕詞も終始気にして読んでいたのですが、これも納得のいく答えを出せず。
2部の事なのですかね。最後のと言うのは、患者にとって最後の医者。そして君はもちろんあの女学生。
うーん、これもなんだかいまいちだな。
ああ、もしかしてなにか重要なテーマを見逃しているのかもしれない。